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「執着を手放そう」

2022.7.12 / バランスコラム

隻腕のバスケ選手、ハンセル・エマニュエル( Hansel Enmanuel )さんを知っていますか。彼はすらりと伸びたしなやかな身体から素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。

片腕しかないという身体的ハンディキャップをまるで感じさせることなく、鋭くドリブルし、スティールし、スリーポイントシュートを放ち、ダンクを決めます。

ハンセル・エマニュエル選手のプレー動画

その素晴らしいパフォーマンスぶりから学ぶべきことが、わたしたちにはたくさんあります。今回のコラムでは、ハンセル・エマニュエル選手がわたしたちに教えてくれるバランス的視点について述べていきます。

ハンセル・エマニュエル選手の身体は、コートにいるプレーヤーたちの中ではとても細く華奢なものに見えます。それは、彼が「身体を強くする」「筋力をつける」「力を強化する」というのとは違う、まったく別の方向に可能性を見出したことの結果だろう、と思われます。

わたしたちは、なければ欲しがったり、小さければ大きくしたがったり、少なければ足したがったり、弱ければ強くしたがったりしがちです。けれども、そうした「強化する」「増やす」ことを意識した取り組み方だけではなく、「いまあるものをどう使うか」という視点で取り組むことが実は大事です。

すでにあるものを見る、自覚する。それは本来備わっている能力を観察し、発見していくということです。そこでは足したり増やしたりする必要がありません。これは、ひもトレやバランスボードにも共通します。これらは鍛えるための道具ではありません。身体のありかたを自覚するためのツールです。

いまあるものを見る、自覚する。そのうえで、洗練させ、よりよく使う。それはつまり、いまあるものだけでどれだけパフォーマンスを最大化することができるかという試みです。それは、頑張ってやる、鍛える、筋肉を増やす、強化するといった類のものとはまるで別のアプローチです。

バランスボードは「コントロールしよう」と意識すればするほどうまく乗ることができません。身体に先立とうとする意識や思考を手放し、じぶんの身体に委ねてしまうことによって乗れるようになります。意識を外せばバランス能力が機能し、パフォーマンスも発揮される、ということが体験できます。

「うまく乗ろう」「コントロールしよう」「この感覚でやろう」といった意識はすべて、ある意味「執着」です。それを手放すことができるかどうかが重要なポイントです。執着を手放すことができたとき、バランスボードに乗ることができています。身体がよく動くようになっています。

東京パラリンピックで、わたしたちは素晴らしいプレーをたくさん見ました。ボッチャという競技では、脳性麻痺によって身体の自由がきかない選手が、見事なまでに正確にボールを投げているのを見ることができました。

彼らよりもずっと自由があると考えられる私たちに同じことができるかというと、自由に甘んじた動きによって、逆にそこまでの正確性を出すことは難しいでしょう。彼らのパフォーマンスも、自由がきかないなりの動きの中で、ある能力にフォーカスし、洗練させていった結果です。

視覚障害のある選手たちによるゴールボールやブラインドサッカーでは、ふつうであれば見ることができない対戦相手の雰囲気や動きを感じ取っているのではないかと思われるシーンをいくつも目にしました。それはテクニックではなかなか養えない、テクニック以前の感覚の洗練ともいうべきものです。

動く以前の感覚や、立つ以前の感覚を育て洗練させることが、結果的に立ち方を楽にし、テクニックや動きをスムーズにしてくれます。ひもトレやバランスボードはそういう感性を育てるキッカケとなります。ハンセル・エマニュエル選手にはそのエッセンスが生かされていることを強く感じます。

つづく

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