Columns

アスリートの言葉学①長嶋茂雄さんの言葉を読む|その1

「でも、あれほどいい三振もなかった。あれほど生きた三振というのもなかった」

(『長嶋茂雄語録』小林信也編・河出文庫・P15より)

2022.2.9 / バランスコラム

「三振した」「負けた」ということを、ふつうは悪いことだと判断しがちです。それは避けるべきこと、やってはいけないことだと信じ込んでいるひとが多いのではないでしょうか。これに対し長嶋茂雄さんは「いい三振」「生きた三振」というのがある、と言っています。

野球だけに限らず、スポーツでも学校でも職場でも、わたしたちはいろんな場面で「失敗しないこと」を求められます。経験やキャリアを積めばなおのこと失敗しづらくなっていく。でも、昔からずーっとフルスイングして、本気で空振りしてきた人、それが長嶋茂雄さんなんですね。

空振りのような、パフォーマンスがうまくいかなかった一番底のところをどう捉えるか。とても重要なポイントです。ふつうは、プロのアスリートですら、すごくうまくいった一番上のところだけをじぶんの実力だと思いたがります。そして一番下は見ないことにする。多くのひとに見られる心理的傾向です。

良いときというのは、みんないいパフォーマンスをするもの。だから一番上だけをみてもしょうがない。そうではなく、全くうまくいかなかった一番底のところもしっかりと見て、それもまた自分の実力と認識することが大事です。そして、その上下のある幅全体をシフトアップしていくことが大切なのです。

良いも自分の実力ですが、悪いもまた自分の実力です。むしろ悪いときこそが自分のパフォーマンスのアベレージなのだと仮定すれば、そこをどうレベルアップさせるかに取り組むことができます。それが結果的にパフォーマンスの底上げや安定につながっていくのです。

納得のいかないパフォーマンスだったとき、それを素直に受け入れられるかどうか、大きな分かれ道です。そのためにも、いつも全力で取り組んでいるということが条件として必要です。失敗を怖がったり、失敗が悪なんて考えているうちは、大事なことがはっきり見えてこないのです。

その意味では、結果だけが判断材料でもないのです。ヒットやホームランを打てば普通は「いいこと」でしょうし、打った本人も満足するものでしょうが、長嶋茂雄さんは違う。「いい三振」を評価できるように、結果とはちがう評価軸をじぶんのなかに持っていることが窺えます。

三振のときのヘルメットの飛ばし方まで研究した、という有名なエピソードがありますが、全力でやりきるための前提になるものだったのではないでしょうか。全力の三振は、プレイヤーとしてのレベルアップに欠かせない姿勢であり、そしてまたプロ野球選手としての魅力にも繋がっていったのでしょう。

つづく

Products