「来た球をパッと打つ」
(『長嶋はバカじゃない』小林信也・草思社・2000年刊/P45より)
2022.3.17 / バランスコラム
いくつものエピソードや発言をこうして追ってみると、長嶋茂雄さんの言葉が非常に「感覚的」なものとわかります。その独特の表現はときとしてメディアで笑いと共に紹介されたりもしますが、それらは決して低く評価されるべきものでなく、むしろ普遍性を持ったものだとわたしには感じられます。
たとえば「来た球をパッと打つ」という長嶋茂雄さんの言葉は、それ以上のものがあるだろうかというくらい核心をついていると思います。そもそも打撃の極意について「こうして、ああして、そうやって打て」などと具体的な表現で語ったところで、それで本当に打つことができるでしょうか。
たとえば歩き方ひとつにしても、「かかとをこうして」とか「膝の角度は何度で曲げて」とか、具体的な言葉で正確に表現しようとすればするほど、本来的な歩き方からはどんどん遠ざかり、不自然なものになっていくもののような気がします。
そもそも、身体的な道理の核心をついたような言葉と、表現としてしっかり組み立てられた言葉というのは、まるでちがう、別のものなのだとわたしは思います。それはおそらく、身体の道理と、言葉の論理が、まったく別のものだからでしょう。
バッティングというのは、ピッチャーがボールを投げたわずか0.3秒後には振り始めるものだそうです。そんな瞬間的な時間のなかでは、そもそも思考が挟まる余地などありません。実際は考える時間などないのです。「パッと打つ」以外にどんな正解がありえるでしょうか。
重要なのは、思考を挟むことなく、いかに瞬間的に「パッ」と身体が反応するか、ということになってきます。もっと正確に言えば、いかに瞬間的に「パッ」と身体が反応するようなバランスでいられるのか。そのような姿勢で準備できているのか、ということになってくるのです。
つづく