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アスリートの言葉学①長嶋茂雄さんの言葉を読む|その2

「ぼく流の打撃の極意は“自然体”にある」

(『長嶋茂雄語録』小林信也編・河出文庫・P52より)

2022.2.17 / バランスコラム

「打てる―と思うと、ほんとうに打ててしまうのだ」(『長嶋茂雄語録』小林信也編・河出文庫・P48)という長嶋茂雄さんの言葉も、とても面白く感じました。このひとの場合、これは思い込みではないだろうな、という気がします。

というのも、例えば、わたしたちは歩くときに「歩ける」なんてあえて「思う」ことはありません。あたりまえすぎてわざわざ「思う」ようなことでもないわけです。長嶋茂雄さんが「打てる」と「思う」というのは、そういう準備ができていることを直感している、ということなのかもしれません。

また、長嶋茂雄さんは「ぼく流の打撃の極意は“自然体”にある」とも語っています。「自然体」をじぶんのベースとしておくのがいちばん能力を発揮できる、ということをじぶんの経験則として知っていたのでしょう。

ふつうは「こうやってこうやるとうまく集中できる」などということを考えたり、なにか拠りどころとなるような特別な方法論を編みだそうとしたりするものですが、長嶋茂雄さんはそうではない。もっと全体的な「自然体でいること」のほうに意識を向けていることがわかります。

「自然体」って、それ自身ががどういうものなのか、実はよくわからない、姿かたちの見えないものです。でもわたしたちは「自然体じゃないもの」ならわかります。考えすぎていたり、緊張しすぎていたり、力みすぎていたり…「あ、自然体じゃないな」っていうことだけは感じることができるんですね。

わたしたちはもともと自然な生き物なわけですから、「自然体」っていうのは特別に身につけるものではなくて、そもそも最初からそうなっているもののことです。ですから、「自然体」に近づこうとする行為というのはは、どちらかというと「余分なものを手放していく」という方向に向かいます。

つづく

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